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「Mr.Honda」のブログ
修行という名の青春!
ことしの春期講習会のときに、大阪のかりん先生と一緒にKECに来て頂いた山口はあの本田屋『みかみ塾』の塾長、Mr.Honda先生のブログに昨日こんなぐぐっとくる記事があった。

ご自身の20代のことをかいていいるのだけど、すっごく身近に感じる内容だったので、勝手に紹介しちゃいます。

20代の話/忍耐力を養う修行
20代中盤から後半の若い時期の過ごし方は、非常に大切だと思う。
人の未来の仕事スタイルを大きく左右するのだろうと思える。

これは仕事の話だ。

「若さゆえに無理がきく」といってしまえば安易すぎて毛嫌いしてしまう人もいるだろうけれども、無理がきくのだから特別に「忍耐力を養える」時期であり、同時に「高い次元で成長曲線を描ける」ということをも意味している。

もちろんそれ以降の30代、40代であっても同じように成長できるだろうけれども、無理がきくことは20代ならではの特権だろうと思う。

実際出会う人の中には、20代で苦労を重ねた人と、20代で手を抜くことを覚えてしまった人の両者がいる。
交流させてもらう中で、前者に大きな情熱と魅力を感じるのはなぜだろう?
苦労の中で蓄積されていった知恵や情熱、学びや生き方、やさしさ、思いやり、信念といったものの存在が大きいのではないかと考えてしまう。
人から感じる「たくましさ」は、まさに苦労から生み出された強さなのだろうと思う。


もちろん生きていく中で、つまり歳をとっていてもリベンジはできるのだけれど、そこにはさらなる労力が必要だろうと思う。

若いと呼ばれる時期だからこそできる実力養成「忍耐力を養う修行」、これは20代の特別な修行なのではないだろうか。


今私は、20代の仲間を多く抱えているし、仲間たちにも今しかできない努力・がんばりを経験してもらいたいと考えている。

私自身、これまで比較的ハードな職場を経験してきているし、忍耐の重要性は強く認識している。

たとえば、テレビ局での仕事は、朝の3時まで編集をしてそのまま朝の5時から生中継に出発、なんてことはざらだったし、その合間にしていたアーティストの仕事は、休暇をすべてつぶすものであった。プロとしての自覚のもとに、空き時間はすべてスタジオ練習に費やしたものだ。レギュラーでやっていたラジオのパーソナリティーの仕事は車で2時間ほどのスタジオだったが毎週通った(あの頃は特に話が下手で今思い出すとずいぶん恥ずかしい。高校生向けの音楽番組でゲストに高校生を呼んでトークをしていたが、何の因果か今は塾で子ども達を教えている。これはちょっと自分でも興味深い)。VTRの編集などは、当然若くて下っ端だったので、先輩や上司皆が編集室で仕事をし終わってから空いている時間を見計らって行うというものだった。当然空いている時間は深夜なのである。いつも編集室は混雑していた。ちなみに私にとって編集室は遠く、その頃、職場までは毎日車で1時間かけて通っていた。いつも帰るのは夜中12時を回ってからだったから、車の運転もかなり過酷なものだった。運転中たった一度だけ、一瞬(2秒くらい)眠ってしまったことがあった。さすがに命の危険を感じた(笑)。もちろんそれ以来そんな経験はない。ディレクター陣が職場に泊りで仕事をするのは普通だった。ソファーで寝るというのもなんだかすさまじい。今だから書けるが、週に2回ほど点滴をしながら仕事をする日々だった。あまり回数が多くなると点滴をしてもらえないから、2つの病院に交互に通って点滴をお願いしていた。今思い出すと「いやー疲れてて!あはっ(*^^)v」と笑っていた自分が怖い(くれぐれもよい子は真似しないでね)。

また、テレビの現場というのはあまり知られていないが、罵声の飛び交うシビアな世界である。1秒を争うのだから、指示に敬語や丁寧語など一切ない。クッション言葉などあろうことなら、生放送では放送事故が簡単に起こるだろう。「こき使われる」という表現は好きではないが、上下関係は厳しく、上からの指示は常に命令であり、修行僧のようにてきぱきと皆が動き回る現場だった。


今の仕事と比べても、もはやどちらが忙しいと判断しにくい。体力を考えると、今のほうが年齢的にしんどいが、実際は20代の頃の仕事のほうが重労働だった気がする。

重労働であるかどうかで何かを判断するわけではないが、20代前半〜中盤にかけて取り組んだ仕事が、20代後半から30代の今に大きな影響を与えているのではないかとやはり思う。

悔しさや苦しさや涙も、今となってはよい経験、笑い話のようなものに変わってしまった。


20代で培える忍耐力は、とても貴重なものだと思う。
ここで手抜きをしたか?そうでないか?が30代以降の仕事を左右してしまうかもしれない。

手を抜くのは簡単、楽をするのは簡単、でもそれは歳をとってからいくらでもできることなのだと思う。


頭脳を使うな!と書いているのではない。

いつも頭は使わなければならないけれど、それと同時に常に「辛抱強さ」「忍耐力」を養う必要があるということなのだ。

若い時期に苦労を買ってでもしろ、ということでもない。

自分の成長に必要なハードルをちゃんと飛び越える努力をしなさい、そのために必要な筋肉をつけなさい、ということなのだ。



どのような経験もそれが自分の上に降りかかってきたものであれば、意義深く得るものが大きいと考えることができれば、成長していけるはずだ。
同じような苦労が来てもすべてはその人の考え方次第というわけだ。

忍耐力の修行をどう捉えるかで、描く成長曲線は変化するだろうと思う。
そうやって(20代の)若いみんなに、自らの成長のために頑張ってほしいと願っている。




じゃあそこまでして何を手に入れたいの?と問う人もいるかもしれない。

確かに若いころの経験で、お金が入るわけでも、贅沢が増えるわけでも、幸福が増えるわけでもない。
手に入る「物」などたいしてない(収入が増えるかもしれないが収入が増えることだけが幸福ではないだろう)。


得られるもの・・・・
それは・・・
ただ「しっかり自分自身と向き合えるようになる」、そう、ただそれだけなのかもしれない。



自分と向き合い、人生に向き合える者はいつも強い。自分と向き合うことができるなら、どんな苦境であってもその先に希望を見出せるだろうと思う。
歳をとればとるほど、充実感にあふれた仕事と生活を送ることができるのではないかと考えている。

今流行りの「自分探し」なんていうのはどうでもいいじゃないか。
自分はもうそこにいるのだからそれで十分。それより「今そこにいる自分」とちゃんと「向き合おう」じゃないか、なんて思う。
探しても見つからないって人が多いんじゃないだろうか?自分はもうすでに「ある」んだから、それなら自分を掘り下げてみればいいじゃないか、「自分を発掘」すればいいじゃないか、そんな風に思う。




自己憐憫から脱出できる人生はいつも尊い。
自己憐憫、これほど悲惨な思考はない(少なくとも私自身は小さい頃から自己憐憫の海に溺れていた)。「あぁなんて自分はかわいそうだんだ」を脱出できなければ、本当の強さと幸福は訪れない。自己憐憫からの脱出も、多くの学びがなければ実現しないだろう。


長くなったが、仕事は人生を形作る大事なツールだ。学べることも多い。仕事からの教訓を人生に生かすも殺すも自分次第だと思う。
そしてこの有意義なツールを、せっかくならば若い時期から存分に活用したいものだ。



いつか苦労話が笑い話になる日がきっと来る。


20代の忍耐力を養う修行の日々は、とても有意義なものであるに違いない。
| SHIGEHARU FUJITA | | comments(2) | - |
Comment
2008/11/15 4:28 PM posted by: Mr Honda
記事を取り上げてくださりありがとうございます。感涙!です。
僕の修行はちっぽけものだと思うのですが、誰かの支えになるならと思って書いています。
ありがとうございます。
2008/11/15 8:33 PM posted by: ハル
いつもながら無断引用、お許しください。

>自己憐憫から脱出できる人生はいつも尊い。
自己憐憫、これほど悲惨な思考はない(少なくとも私自身は小さい頃から自己憐憫の海に溺れていた)。



僕はこの修辞に震えてしまったのでした。
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