KECNEWS

ゴールデンウィークのお知らせ!
4月29日(金)〜5月5日(木)の1週間はKECのすべての授業および業務の休塾日です。
なお、高校部自習室はオープンしています。
5月6日(金)より通常授業がはじまります。


連休明けより新システム全面稼働!
塾生保護者様へ
従来、小学部と中学部で使用していた塾の入室・退出を画像付きで保護者の皆様に送付していた「KAZASU」から、東京都立の学校など、すでに広範囲で使用されている通称「安心でんしょばと」に切り替えとなります。

手渡しおよび郵送してあります案内をご確認のうえ、新しい「入退室・連絡メールサービス」にご登録願います。

5月6日(金)より全面切り替えとさせていただきます。

なお、配布済みのICカードの裏面には、必ず使用者名をご記入ください。

 
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


教育NEWS

アクタス連載『太田あやの成績が伸びるノート教室』!
以前、このブログでとりあげた太田さんの連載に、5月号で相談者として塾生の松本さんのインタビュー記事がある。

泉丘3年になる彼女が中3だったとき、確か定期テスト対策の特別授業の時だったと思うけど、たまたま自分でまとめたノートをみる機会があって、その出来に感心し教室の塾生たちに紹介したことがあった。

取材依頼があって高校部の何人かに「ノート取り」で何か悩みがないかと聞いてみたところ、今回の相談記事になった。

詳細はぜひ本誌を読んでもらいたいのだけど、実は「ノート作成」には高校生はもちろん中学生や小学生にも、それぞれ違った課題があると、ふだんから思っていたこともあってこの取材は、塾人としても大変興味深いものだった。

太田先生、これからも良しくご指導お願います!

 
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


教育NEWS

月刊アクタス5月号受験特集記事
旧帝大・難関10大、医学科合格者一覧!

先週発売された『アクタス』には東大・京大・阪大・東北大・名大・九大・北大の旧帝大と東工・一橋・神戸を含めた、いわゆる「難関10大学」の高校別合格者数のランキングが掲載されている。

以下、それぞれの現役合格者数の割合とともに
10位までのランキングなのだ!!
28年 高校名 卒業者 合格者(現役) 現役合格率
泉丘 392 104(69) 17.7%
小松 317 68(56) 17.6%
二水 394 39(23) 5.8%
附属 123 29(16) 13.0%
七尾 236 21(18) 7.6%
錦丘 306 14(12) 3.9%
桜丘 352 11(9) 2.6%
星稜 499 7(2) 0.4%
羽咋 197 3(3) 1.5%
10 金沢 361 2(1) 0.3%
10 輪島 157 2(1) 0.6%
10 飯田 137 2(1) 0.7%
10 明峰 232 2(1) 0.4%
県全体 306(215)

| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


教育NEWS

28年度公立高校入試結果公表される!
今年の合格者平均は253点でした!!

月曜日の会議における報告をうけて、県教委から3月に実施された公立高校の入試結果が公表された。

それによると今年の合格者平均は、
英語50.5点
数学48.0点
国語53.8点
理科52.9点
社会47.8点
合計253点

であることが分かった。

入試直後の予想平均は英語45点、数学47点、国語51点、理科52点、社会51点、合計246点で250点を切るかと思われたが、主な要因は傾向が変わり激ムズだった英語がその割には高かったのと、社会が25年度に続く低さだったこと、国語が記述レベルが上がったにも関わらず標準的だったことがあげられる。

もっとも、合格発表後の塾生たちの得点報告から、今年の平均点は250点ぐらいと類推はできていたのだけれど。

以下、経年比較をしてみよう。
 
公立入試
平均点
英語 数学 国語 理科 社会 合計
平成28年度 51 48 54 53 48 253
平成27年度 55 45 54 49 53 256
平成26年度 50 47 53 40 49 239
平成25年度 48 43 51 51 45 239
平成24年度 54 53 59 48 55 267
過去5年平均 51 47 54 48 50 251
過去10年平均 53 48 55 52 52 259

 
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


学習塾協議会いしかわNEWS

28年度通常総会および「合格navi2016」!
今日は新年度初の実行委員会と2回目の役員会が開催された。

総会は5月27日(金)、今年度の「合格navi」は6月19日(日)に決定。

例年のことではあるけれど、総会を待たずにイベント準備がスタートする。

すでに他の多店舗展開の同業者達は、夏期講習の集客のトリガーとしての無料模試も、チラシやインターネットで告知している。

ネット露出にはかなりな費用がかかるのだけど、それをやりきるには相当のコストが必要なはず。

う〜〜ん、どうなん?

というわけで、個人塾の集合体でもある「協議会」としても、今年度は違った切り口で戦略しなきゃだわ。

会議の後は出版社との打ち合わせ。

う〜〜ん、こちらはイイ感じ!

やるしかないZ!!
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


KECNEWS

仕事再開!
というわけで初めて経験した「不思議な一週間」が終わり、今日から仕事モード。

とはいっても、授業がないので事務作業だけ。

やっぱ、塾人は授業がないと仕事に戻った気がしない。

そいえば授業をするのが「塾人」で、経営がメインで授業は二の次が「塾屋」と誰かが言ってたけど、そうなると自分は「塾人の塾屋」あるいは、「塾屋の塾人」ってことだろうね。

明日からがんばりま〜〜す、というこの余裕?
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


BLOG

追悼の一週間、最終回
先週の日曜日からまた日曜日がやってきた。

そろそろ、現実的課題が山積していることに気が遠くなってきた。(笑)

初七日までは毎朝お坊さんが来て、これから49日の法要までは毎週土曜日に来る。

「おぼくさん」と言われる炊き立てのご飯をお供えして、みんなで母屋に行ってお参りしている。

前述の新聞記事ではないが、「子々孫々」まであの「糠仏」を守っていくことが我が家の信仰ということになっているので、我が子にもそれを伝えている。

思い起こせば「正信偈」といわれる浄土真宗のお経を興味半分で全部詠んだのが、確か息子と同じ小学5年生の時。

どこまで覚えられるのもかと遊び半分でやってみたのだけど、今でも暗唱できるのは当時と変わらないところまで。

なんとも信心深い家に育ちながら、不遜な輩ではある。

そうはいっても、母屋の横に引っ越してからは、毎朝のお参りは欠かしたことがない。

ま、「ほぼ」というのが正直なところだけど。

さて、これで「追悼ブログ」終了。

明日からは、日常に再びカムバック!
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


BLOG

追悼一週間、その6
初七日である。

仮通夜を思いだした。

ほんと、あっという間の一週間ではあった。

近所の長老が、「初七日」や「四十九日」のいわれを教えてくれた。

仏教では臨終から7週間の49日で、人は次の世で地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道のいずれかに生まれ変わるらしい。

人間以外、畜生である動物にしても、その存在がなんだか全くわかないけど、自分の前世は何だったのだろと思う。

ある占い?によれば、「幕末の志士」だったらしいし、また違う占いでは、女性政治家だったというのもあった。

えっ?いや、親父でなくオイラが!

まさかね。

ま、女だったかもとは思ったりして。

ジェンダーフリーってわけではないけれど。

 
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


BLOG

追悼の一週間、その5
本葬の喪主挨拶では、先祖の代から我が家の仏壇で奉っている(?)「糠(ぬか)仏」について少しふれさていただいた。

そのあとの「中陰」後の「御解き」の食事会では、我が家の長兄同然の従兄がわざわざ用意してくれた当時の新聞記事のコピーを40名ほどの皆さんに配布し、挨拶代わりの説明をさせてもらった。

そのコピーには2つ新聞記事があった。

ひとつは2000年3月2日の北陸中日新聞で、囲み記事で父母の写真と共に大きく取り上げられ、もう一つは翌々日の北國新聞で糠仏を手に持つ父の社員が掲載されているものだった。

以下にそれらの記事を抜粋しておこう。

1)1877年(明治十年)3月3日のひな祭りの時に、当時子供だった父敬温の大叔父である安三郎が、家の鶏小屋で餌をまいていたときに「お雛さん(人形)がみつかった」といって、家人に持ってきた。

2)父の祖父である弥三右衛門が調べてみると、全長4センチほど金属の阿弥陀像であることがわかった。

3)また同じ日に親類の女性が、「僧侶が宿を借りに来て、この家のなかに消えた夢を見た」と話したことから、鶏のエサである米ぬかから出てきた「糠仏」として、仏間に安置するようになった。

4)知人の話によれば、その仏像はその昔武士の兜につけられていたものかもしれないとのことだった。

5)「糠仏」が出てきて50年後の1926年(昭和元年)、銀行家を引退した後、長く公民館館長を務めていた父の父つまり私の祖父が、その仏様の五十回忌法要を3日間にわたって盛大に行った。

6)以来、毎年3月3日にはお坊さんと近所の人々を招いて、現在もなお法要が続いている。


というのが、今から16年前の新聞記事、つまりその「一向一揆時代」の名残のような仏像が我が家にやってきて123年後で、今から140年前に仏像が見つかったことになる。

なんともまあ気の長い話であるし、父の葬儀に際してあらためて特異な家であることを痛感した次第。

この記事が出た後だったと記憶しているけど、ある日年老いた両親が法事でもないのに仏壇の仏具を磨いているので聞いたところ、今から30人ほどの人がバスでお参りにやってくるからお茶を出さなきゃという。

なんでもその団体は県立大横の「末松廃寺」の遺跡を見たあと来るというではないか。

うちはとうとう観光スポットなった!とその時思ったものだ。
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |


BLOG

追悼の一週間、その4
本葬では霊柩車をあえて、葬儀場でも年間数回しか出動しないといわれた「宮型」にした。

小さい時は、その動くお寺のような車が通ると親指を隠したものだった。

葬儀社との打ち合わせで、細君ともどもじいちゃんだったらこっちにするだろうね、ということで選んだ。

信心深い父にあった搬送車ではあったし、久しぶりにその宮型霊柩車を運転する人は、なんだか楽しそうだった。

当たり前だけど、葬儀では初めて見る顔が多かった。

そしてその方々から「おじいちゃんには大変お世話になった」と、何度も言われた。

この歳になるまで父の代理としても実の多くの葬儀に出た気がするけど、故人には大変お世話になったといわれると、本当に嬉しいものであることが分かった。

と同時に、この愚息が逝ったときはどうだろう?と思ってしまった。

いうまでもなく、未来の僕の遺族は今の僕ほど感心しないだろうね。
| SHIGEHARU FUJITA | - | comments(0) | trackbacks(0) |